「好きなことに人生を費やす」
誰しも憧れることではあるが、そうそうにできるようなものでもない。
生きるには金を稼がなければならないし、やりたくないことに時間を割かねばならないときもある。
『神々の山嶺(かみがみのいただき)』は、そんなしがらみの一切を捨てて、自分のすべてを捧げた男の物語だ。
本作は、エベレストの登山を主題としたフィクションであるが、要所要所に混ぜられた史実や、登山に対する詳細な描写などから、本家登山家にも高い評価を得ている作品だ。
小説、マンガ、映画とメディア展開されている。
今回は、マンガ版『神々の山嶺』をレビューする。
■概要
原作は、『陰陽師』など多数の人気作を執筆する「夢枕獏」。
まるでその時代、その場所で生きていたかのような、リアルな描写を得意とする。
1994~1997年に連載され、1997年に上下巻で刊行された。
マンガ版は『孤独のグルメ』で有名な「谷口ジロー」が作画を手がけており、全5巻で単行本化されている。
「ムシャムシャ」「モグモグ」「ズズー」など、単純な擬音を多用する独特な食事シーンが特徴。
ネットに本作の食事シーンが出回ることもよくある。
「水分はどんなに摂っても摂りすぎるとうことはない」
なお、2016年には、阿部寛主演で映画化された。
■あらすじ
カメラマンの深町は、エベレスト登山隊の撮影を終え、カトマンズの街をあてもなくさまよっていた。
そんなとき、ふと立ち寄った古道具屋で、年代物のカメラを見つける。
深町は、そのカメラが、1924年にエベレストの頂上を目指した「ジョージ・マロリー※」のものではないかと睨み購入する。
深町は、カメラの購入によって、登山家達の間で名の知れた羽生と出会う。
カメラがマロリーのものか調査する深町だったが、取材を重ねるに連れ、徐々に興味が羽生へと移ってゆく。
やがて深町は、羽生が成し遂げようとしている偉業に気付き、カメラマンとして彼に同行することを決意する。
※ジョージ・マロリー
実在の人物で、人類で初めてエベレストの頂上を踏んだ「かもしれない」男。
頂上に向かう姿が確認されるも、生還できなかったため、実際に登頂したか不明。
本作では、「マロリーは登頂したのか?」についても言及され、本作品なりの答えを示している。
■見所と難点
本作の見所は、やはり登山シーンだろう。
私は登山経験がないため、真偽のほどはわからないが、かなり細かく描写されている。
高山病の症状やそのつらさなど、まったく知識がなくても、読んでいて焦りを感じてしまうほど生々しく描かれている。
また、日々を流されるままに過ごす無力感から、高い山を攻略したときの達成感まで、人間の心理描写も見事に表現されている。
影響されやすい自分などは、本作を読んで「ちょっと山に登ってみようかな」と、わりと本気で考えてしまうほどだ。
・・・もっとも、登り始めてすぐに後悔することになるのだろうが
さらに、上述したように食事シーンも魅力のひとつだ。
なんでもない食事内容のうえ、おっさんふたりがほぼ無言で黙々と食っているだけなのだが、妙においしそうに感じてしまうのだ。
難点は、前置きが非常に長い点と、専門用語が多い点があげられる。
主人公はカメラマンの深町だが、物語の主軸となっているのは羽生である。
物語は、深町が羽生の関係者に取材し、彼の過去をたどっていく、という流れで進行する。
羽生の人間性を表現する上で重要なシーンではあるが、飲み会で熱く語るシーンや女性関係など、中盤まではいささか退屈なシーンが続く。
また、描写される羽生が、自己中心的で他者への配慮が一切ないなど、いい性格とはいえないため、より読み進める手が遅くなる。
それでも、終盤エベレストに挑むシーンは息つく暇もないため、それまでとは打って変わって一気に読みきってしまった。
■まとめ
本作『神々の山嶺』は、山に興味がある人、何かに夢中になりたい人にとって最適な作品だと考える。
全5巻のため、1日あれば読み切ることができるだろう。
「好きなことに人生を費やす」ということがどういうことなのか。
それがどういう生き方で、またどのような結末を迎えるのか、気になる方はぜひ一度手にとってみてはいかがだろうか