大手食品会社への推薦入社はあっさりと通ることができた。
ほとんど裏口入社のような扱いだったのだろう。
ただし、高専卒の私は、一般職と呼ばれる、転勤がない代わりに昇進もない職分として入社した。
1年目
入社後私は、食品の分析業務に携わった。
例えば、新規開発した食品の風味や食感が保存中に劣化しないか、細菌に汚染されていないか、等だ。
最初の半年間は、研修期間として、各種の分析方法を学んだ。
そして研修期間終了後、工場に導入した新設備の立ち上げプロジェクトに配備された。
入社に当たって一人暮らしを始めた私だったが、出張の連続で新居にいる時間はあまり長くなかった。
プロジェクトはかなり難航し、メンバーのムードもいいものではなかった。
慣れないホテル生活はなかなか堪える。
というのも、プロジェクトメンバーは全員同じ宿に泊まるという暗黙のルールがあったのだが、プロジェクトリーダーの「朝食がおいしいから」という理由から、かなり年季の入った民宿に宿泊していたためだ。
確かに朝食はおいしかったし、宿の雰囲気も古風ながらいいものだった。
しかし、真冬の軽井沢でタイル張りの風呂に入るのは、なかなかの拷問である。
そんなプロジェクトも、3月に入りようやく終結が見えてきた。
そんなある日、私の異動が言い渡された。
2年目
異動先では相変わらず分析業務がメインだったが、1年目が固体の食品だったのに対し、2年目は液体を取り扱うことになった。
まったく同じ成分の分析であっても、固体と液体とでは、使用する薬品の量が変わったり、別の工程が入ったりなど、微妙な差異から再度覚えなおしとなる。
出張はほとんどなくなったが、小型の生産設備で新商品の試作など、力仕事が増えた。また、一般職として入社していたが、「総合職(昇進と転勤のある職分)を目指せ」という上職者の意向もあり、総合職を意識した仕事をするようになった。
このときの上司は、「就業時間で終わるはずの仕事を言い渡しているので、時間内に終わらないのはお前のせい。つまり超過分を残業とするのは認めない」というスタンス。
心底納得したわけではなかったが、直属の上司がそういうのだからと、なるべく早く仕事を覚え、仕事の時間を短縮しようとがんばった。
1年もするとスムーズに仕事がこなせるようになり、ようやく慣れてきたかな、と感じていた矢先、再び私の異動が通告された。
この時点で私は、自分がたらいまわしにされているのではないか?と思うようになっていた。
3年目
3年目、3つめの職場に配属された私は、例によって仕事の覚え直しから始めた。
3年目はゼリー状の食品分析がメインだったため、やはりこれまでの分析方法とは細かい部分で異なる。
また、この職場にはなぜか総合職が1人もおらず、管理職の下は一般職だけだった。
そして、一般職の男が私1人ということもあってか、ほとんど総合職のような仕事を行っていた。
・・・一般職の給料で。
研究報告書を書くなどのデスクワークが増えたが、日々の新商品開発も行うなど、めまぐるしい毎日を送っていた。
ちなみに、研究報告書のアップローダーは総合職以上しかアクセスできないため、自分で書いたものを上司にアップしてもらい、その後その報告書を自分で読むことができなくなる、という絶妙にわけのわからない扱いだった。
また、この年は一般職から総合職への以降試験の受験資格が与えられた。
このため、周囲からのプレッシャーもあり、受験を決めた。
このため、日々の生活に試験勉強が加わる。
試験は食品の基礎から時事まで、幅広い範囲で出題されることになっており、覚えることは膨大。
ただ、会社の慣例らしく、「1年目はまず受からない」と言われていたため、私自身落ちることを前提に試験に臨んだ。
そして落ちた。
この頃、1人で100kgのプリンを作っているときなど、幼少期に抱いていた夢とのギャップから、自分は一体何をしているのだろうか・・・と思うようになった。
そして3年目の12月頃、体調を崩した。
毎朝尿に砂のようなものが混じっていたのだ。
原因は尿管結石だった。
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